ノルウェイの森書評と村上春樹について

村上春樹作品を初めて読んだのは確か小学校六年生の時で、初めて読んだ作品は「1Q84」だった。だが初めて読んだときは途中でリタイアしてしまった。単純に長すぎた(600p弱の単行本が三冊、文庫本だと300pのが六冊!)というのも理由の一つだが、村上春樹作品の特徴である、二つの物語が並行して書かれる展開が理解できなかったのが大きな要因だ。大体の場合でその二つの物語が絡み合うの中盤から終盤にかけてなので、そこにたどり着く前に頭の理解が追い付かずリタイアしてしまった。

それから読書に慣れるために長編小説に挑戦して、中一の時に「1Q84」に再挑戦した。序盤何度か挫折しかけたが、二つの物語が絡み合ってきたあたりからどんどん夢中になり、読み終わったときにはすっかり村上春樹が好きになっていた。

ちなみに、短いからという理由で村上春樹の短編作品から読み始めるのはお勧めしない。本当に難しいからだ。「パン屋再襲撃」や「納屋を焼く」なんかは何回か読み返してもさっぱり理解できなかった。村上春樹作品では、短編小説が元となって長編小説になるパターンが多く(ねじまき鳥→ねじまき鳥クロニクル、蛍→ノルウェイの森など)長編小説を何作品か読み、作品の特徴を知ってから短編作品を読むのがおすすめだ。もっとも何作品を読んだ後でも理解できるとは限らない。(僕は無理だった。また挑戦する。)

 

1Q84」を読んだ後に「海辺のカフカ」を読んだ。この作品は僕が今まで読んだことのある全て作品の中で一番好きな作品だ。15歳の少年が旅に出た先で現実とも非現実ともつかない出来事を経て成長していく様が村上春樹独特の文体で描かれる今作は、800p強の長さながら読んでいて全く疲れないし、単純にストーリーが面白い。内容が全然理解できない、という理由で村上春樹作品を避けている人は「海辺のカフカ」から読み始めればなんなく読み通すことが出来ると思う。高校の友人におすすめして、貸したところ一年後に上巻の50pあたりに栞が挟まった状態で帰ってきた。読めや。二年前に舞台化された「カフカ」を見に行ったが、それもものすごく良かった。逆に舞台ではなく映画だったらそんなに面白くなっていなかった気がする。実際「ノルウェイの森」の実写版が不評であるように、村上春樹作品の登場人物の独特なしゃべり方をそのまま映画の中で話したら正直違和感しかない。かといって普通の話し方に直したら原作の雰囲気が損なわれてしまう。演劇の誇張したセリフ回しと村上春樹作品の愛称は抜群だろう。

 

ここまでの文章の中で、村上春樹の書く文体の良さを特に書いてきたが、今回読んだ「ノルウェイの森」は特に文章が良いと感じた作品だった。(散々語っておいてノルウェイの森呼んだことなかったのかよ!というツッコミはしないでください。ぐうの音も出ないので)

ネタバレありなので見たくない人は見ない方が良いです。ネタバレありでも十分に楽しめますが。

 

以下あらすじを引用

 暗く重たい雨雲をくぐり抜け、飛行機がハンブルク空港に着陸すると、天井のスピーカーから小さな音でビートルズの『ノルウェイの森』が流れ出した。僕は一九六九年、もうすぐ二十歳になろうとする秋のできごとを思い出し、激しく混乱し、動揺していた。限りない喪失と再生を描き新境地を拓いた長編小説。

 今作は村上春樹作品ではおなじみだったファンタジーな要素や、二つの世界の同時並行などは一切存在せず、最初から最後まで現実的な話だ。

 

主人公である「僕」ことワタナベは高校時代に親友だったキザキを自殺で無くす。高校生当時ワタナベとキズキとその彼女の直子は三人で遊ぶ仲だったが、キズキの死後直子とは疎遠になる。

大学生になり、東京で偶然直子に再会したワタナベは直子との関係を深めていく。だが直子はキズキの死後精神を患っていて、その病は深刻になっていき、京都の山奥にある病院で療養をすることになる。

直子と会えない間、ワタナベは大学で知り合った緑という女性とも関係を深めていく。そしてワタナベは二人の女性を同時に愛してしまっていることに動揺する。

 

ストーリーの流れが、先日プレイした「WHITE ALBUM2」と似ていた。もしかしたらホワルバはノルウェイの森をモチーフにした作品だったのかもしれないと思った。ホワルバはギャルゲなので二人のうちどちらかを選ぶ展開になるが、ノルウェイの森ではそのような展開は訪れない。直子は自ら命を絶つ。

 

直子だけでなく今作では主人公の周辺の大勢の人が自殺する。主人公は多くの者を失っていくのだが、今作はその喪失感が文章に現れている。

 

 そんなことはもうどうでもいいことなのだ。直子はもうこの世界には存在せず、一握りの灰になってしまったのだ。

 主人公の空っぽな感情と絶望が文章からひしひしと伝わってくる。

 

 

主人公は寮の先輩の永沢とともに夜の街に繰り出して女性を捕まえて一夜限りの関係を持ちまくるが、その行為自体好きでやっているのではなく、ただの暇つぶし、あるいはさみしさを紛らわすための好意としかとらえていない。他人に興味を持たずに生きている様子はまさに空っぽに見える。

 

僕はこの小説を読んで、ワタナベは直子のことを本当に愛していたのか?と疑わしく思った。ワタナベが心を開いた人間は高校時代の親友のキズキだけであり、先輩の永沢にも、東京の恋人の緑にも本心から心を開いていなかった。

ワタナベは直子を通して、死んでしまったキズキの存在を確認していたのだと思う。そして、それと同時に直子もワタナベとの関係を通してキズキの存在を思い出していたのだと思う。ワタナベはキズキへの感情と直子への愛情を勘違いして、自分と直子の思いは同じにも関わらず、愛情に飢え、緑との関係を持つ様子は、とても情けなく見える。

 

作品内で、「死は生の一部である」と語られていたが、これは死を選んだ人物たちは「死」によって自分の人生を満たした、と捉えることが出来る。空虚感を抱えながら生き続ける主人公(そして先輩の永沢)は満たされない、という対比が綺麗だと思った。

 

冒頭にも書いたようにこの作品はなんといっても文章が良い。読んでいて全く疲れないしストレスなくスラスラ読める。そして文章から感じる喪失感は読んでいてとても気持ちがいいと感じた。読後感もかなり爽やかで、最近読んだ本の中だと一番の高評価。今後もまた何度か読み返したいと思う。

 

 

 

かいてたらもうシャレにならない時間になってきたのでここまで。今回はかなり面白かったからこんなに長い感想になってしまったが、今後は普通にいつも通り一週間のまとめ記事に短くまとめたいと思う。

 

 

 

 

 

それでは、、、、